屋根のペンキ塗り

今日も忙しかった。

屋根のトタンにペンキを塗った。
5年前に塗ったと思うけど、錆が出てきていた。
前はローラーでやったけど、今回は刷毛でやったので二日がかり。

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だけどムラがあって二度塗りをしなければならない。
シンナーの匂いが鼻から離れない。

干し柿は食べごろだけど、皮が固い。
母がもっと作るというので柿を取ってきた。

鮎走の紅葉がきれいだった。
紅葉や雪は山から里へ下りてくる。
待っていれば紅葉の方からやってくるのだけど・・・

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庭のモミジの木をチェーンソーで切った。
間隔が狭すぎるので。

 

書いて味わう正信偈

正信偈の意味を知っている人は少ない。

何とか正信偈に親しんでもらおうと考えていたら、本願寺出版から「書いて味わう正信偈」という書くことができて、読み下しや現代語、解説までついた本が出ていることを知った。早速5部ほど注文したら次の日に届いていた。

筆ペンで書きこんでみる。字の練習になる。

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これを母にやったら、やっと意味が分かると喜んでいた。

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鉛筆で書いたら消して何度も書いてみるという。

 

今年の畑はいろいろ作ったけど、良かったのは桑の木ささげとトマトとサツマイモと里芋。

特に近所の方から種をいただいた「桑の木ささげ」は豊作。

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ピンク色になると収穫できる。

そのまま煮ると緑になって全部食べれる。とてもおいしい。

ナスを失敗したけどこれは大成功。

森の幼稚園

建物がない幼稚園があることを初めて知った。

孫が体験入園をしたいというので、足を務めたついでに一緒に体験入園をした。

雨の日も雪の日(台風と雷以外の)も野外で活動をするという。

それを体験してみたいものだと思った。

今日はとても良い天気だったので気持ちよかったけど、レインコートで活動をする雨の日はどんなことになるのだろう。

参加している子たちがとてもやさしいことに気が付いた。

最初はお母さんから離れなかった孫も、途中から喜んで夢中になって動き回っていた。

ナツグミをとって他の子にあげていた。

とても楽しかったようでまた行きたいという。

 

広々とした自然の中でのびのびと育もう!

ぎふ☆ほしのこ森のようちえん

ギフホシノコモリノヨウチエン

 
 
ぐみの木から実をとって食べるのに夢中

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部屋の掃除と庭の紅葉

母が「どうしてこんなに咳が出るのか」と言うので、部屋の掃除をした。

そもそも掃除をするのが嫌いな人だ。

埃だらけの部屋の掃除に半日かかってしまった。

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 ひるがの高原では数日前に雪が降った。
郡上の紅葉も色づいてきた。

立冬とは「秋が極まり冬の気配が立ち始める日」
一年を無理に4つに分けた。前半はこの言葉の通りだけど、そんな「日」があるわけではない。秋分冬至の中間で昼夜の長短による分け方。

「あの人たちと比べればわしは幸せや」

TVを見ていたら、車いすのバスケの選手たちが子どもたちに教えている場面が出た。その時、母が呟いた。
「あの人たちと比べればわしは幸せや」
これを聞いてかっとなって叫んでいた。
「じゃあ、あの人たちは不幸せか?
そうやって人と比べて自分はまだましやと思う人を凡夫というんや。
お寺に嫁にきて何を学んできたんや。
そんなことを言うと地獄行きやで。」
「わしゃどうせ地獄へしか行けん」

ここまで来るとさすがにまずかったと気付くがもう遅い。
気まずい雰囲気のまましばらくすると、少し冷静になってきて、なぜ怒ってしまったのか振り返ることができた。

母は朝、花を生けようとして香炉をぶちゃけて灰をばらまいてしまった。
できないことが多くなったのに何でも自分でやろうとする。人に迷惑をかけてはいかんと思っているから「手伝ってくれんか」と言えない。
そんな母を何とかしたいと思っている自分がいた。

もう一つ、かって学校に勤めていた時に、障がいを持った子たちと学びあっていた時のくやしい経験からの思いもあった。
これは並大抵のことではないなと思っている自分がいた。

次の日ふと考えた。
母の発言を聞いたとき、阿弥陀様やったらどういう対話をしただろうかと。
なぜなら地獄しか行きようのないものを救おうとされた方だからだ。
そして、その対話をいろいろ想像してみた。

「あの人たちと比べればわしは幸せや」
「そうか幸せか。ではどこが幸せなんやろう」
「足が痛い、歩くのが辛いと言っとるけど、足があるだけ幸せや」
「そうか、足が痛いということが辛いんだね。
 じゃあ、車いすバスケの人は、足があっても痛くて辛いあなたよりも不幸なんかな」
「ああやって足がなくても頑張っている人と比べたら、足が痛いくらいで何を言っとるのかと思う」(あくまで自分中心に考えている)
「あの人たちからそういうことを教えてもらって幸せやったなあ」

阿弥陀様の立場に立ってと言っても、私が想像しているのでどこまでも私から抜けられないけど、我が心と我が身を振り返らせてもらいました。

 
何度も屋根から雨漏りが滴っていないか見に行った。
これくらいの少雨なら大丈夫なようだ。
もっと強く降らないかと思わず願っていた。