鷲狩り伝説―鷲見大鑑の解読

昨日から鷲見大鑑を解読している。

実は資料は数年前にいただいたけど解読をするのは初めて。
解読は暗号を解くと同じで、読めない文字がわかるととても嬉しくなりすっきりする。
今回もわからないところはそのままにしておいて、後から読んでみるとわかるところがあった。

解読してみると、濃北一覧に書いてあることとはかなり異なっている。
濃北一覧がそれらを参考にして書いたことはわかっているので、どのように参考にして編集したのかが見えてくる。

二つの鷲見大鑑は元々同じところにあったことが分かったので、これをAとB(鮎走)とする。扨、だんだんわかってきたことがある。それはAとBがほとんど同じということだ。当然といえば当然だけど。そして、Aが先でBが後からではないかと感じる。ではなぜ目的が異なるのかが次の課題となる。

もう一つ、市兵衛文書というのがある。これは大屋氏の由来を書いたもの。
AとBは簑島小左衛門のことが書いてある。

そして、濃北一覧はそれらをつなぎ合わせたものだ。
だんだんと見えてきた。

 

美濃国郡上郡鷲見大鑑」

鷲見殿ご出生を尋奉るに、大宮殿二男と記丸様と申す。
承久三年七月朔日御出生御遊ばされ、其後の御名武蔵権守
申す。其節は禁裏天下の時なり。正月二日の御夢にいわく
是より北東において不思議のの巣(ご)もりを
成すと御夢にてさめにけり。それより武蔵権守に
仰せ付けられ供人三十六人にて美濃国へお越しなされ岐阜
奈ケ良江御宿なされ、奈ケ良渡にて船を召され候処に、川上より
の羽一羽流れ来て権守御不審に思い召して、お手づから
かいをさげさせ給い。お取り上げご覧有るに白ほの羽
長四尺七寸其の内にこんぢきの八幡と申す文字有。
此の川上にうたがいなしと思し召し、郡上へお尋ね上り
成され候。其れより其の羽小野村に預け置き給い。今の八
幡其時より宮祝ひ納候。扨それより御手分け成され
明方江小俵江権守殿上之方江御尋ね上り給う。神路村に
御泊りなされ、その夜神の御告げにいわく。此の川上に雲ケ
嶽という深山有り。急ぎ尋ね上り候得と、御ゆめぞさめに
けり。それより急ぎ御立ちなされ、その時よりこの神の路と書いて
かんぢとよむ。扨権守殿岩高村に御宿とさせ給い
山口才三郎と申す者案内にて雲ケ嶽にお尋ね上り
給うなり。扨の鳴き声かすかに聞こえ給い。又三丁
ばかり行き給い。慥かに二声鳴く。権守殿此の谷奥に
うたがいなしと思し召し。又それより小ふたごえ大ふた
ごえと申す所へしばらくおやすらひ給い。いよいよ
谷ふかく尋ねんとおはしめし、見る小屋を
懸け給う。其の所今小城と申すなり。不審なる弥の右羽
二羽落ちて有れば是をお拾い給い。此の所にも又小屋を置き
給う。それより大城羽落しとは申すなり。其の間日数は五日に
およびきてわしのありか今に見えず。
草木茂り道通用もなりがたく、然る所へ岩高村
簑島小左衛門と申すものお迎えに百姓三人つれ来。小左衛門
権守殿に申す様はの有(あり)か心もと無く存じ奉り、お迎え参りし由申し
上げるに、権守殿その仰せ候は、例え日数五七日なりともの有る所見
届け申さず候内は、と仰せられ候。又小左衛門申すは深山谷深き所より
御座候へば御退届に有る可く、一先ずお帰り遊ばされ候へと言上す。
しからばなんぢ申す通り一先ず帰り申すべくとて御家来八人
大城小城残し給い。小左衛門案内して下屋こと申す所より
尾根伝いに七くらがり谷に通り岩高村にお帰りなされ
其れより向鷲見村と申すなり。権守殿十一日御追留まりなされ候。
其時山口才三郎飛脚にて参り、御前に向かい四日ほど前より
雲ケ嶽八分目より日の出四つ時々に一度づつ見え申し候と申
されば権守殿御よろこびなされ人足六拾四人小左衛門共に
お上がりなされそれより弥つか尾大清水と申す所に大きなる
いおりを作り給い。それより人そく共に申付け雲ケ嶽道を
伐りひらかせ弥に、五月上旬お上りなされ候。則ち今大屋此の所なり、同日
の巣を御見立てなされ候弥に、得候ひし也。彼のご覧
あるに大石打と申す尾羽一羽これ無くお尋ね成され候得ば長良にて
御あげなされ候羽にうたがいなし。扨それより六月三日
みやこへおもどりなされ候。禁裏様御よろこびかぎりなし。
権守殿ご家名御改めて遊ばされ、鷲見家保と下し賜わり
その後元長三年五月一二日美濃国あた田み庄内川西
川東永代知行千六百二拾三石下され、見の御役料に
向鷲見。お城御普請なされ、其時の御普請御見分の御役人
稲葉大膳に仰せ付けられ、同五年八月三日にお城出来仕り候。その後に

建武三年六月二十七日飛騨美濃御境御立てなされ候時に、飛騨国

 ・・・

 

永遠の今

昨日は孫のもり。
エネルギーいっぱいで、ついていくのがだんだんしんどくなるけど、楽しかった。

このはてなブログに移転してちょうど一年。
その間、アクセスしていただいた人の累計は9100人。
一日25名のアクセスがあったことになる。
この数にこだわってはいけないと思うけどつい気にしてしまう。

ブログを始めてから8年になるけど、昔の記事を見ることができるのがありがたい。
同じことを繰り返していることがよくわかる。
できるだけ記事を関連するようにしている。

その時、記録というのは何だろうかと考えてしまう。
古文書を読んでいると、ますますその疑問が浮かんでくる。
昔の人にとって記録は今のありようを保証してくれる大事な証文だった。
そもそも「今」というのも永遠の「その時」なのだから。

今日から工事に入った。雨の中お疲れさまでした。
台風14号が心配。

「ないおん」の「かるた48」仏さまのおこころ が届いていた。
3組しか買えなかったけど、キッズサンガでやるつもり。
そして、孫がひらがなを覚えたら一緒にやるつもり。
絵札も字札もどちらも素敵。

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突破するちから

今日は家の壁を補修するため周りを片付けた。

一日かかってしまった。
腰が痛い。

いろいろ調べたいことがあるので、とりあえず二次方程式因数分解で解く方法についてまとめておく。

題して「突破するちから

つまり、突破できない状態を経験しているということだ。
ずっと前、因数分解二次方程式を解くにはどうしたらいいのかを考えたことがある。

その時、何かありそうだと感じたけど突破するアイディアは出てこなかった。
さらに和と差の公式を面積図で表したとき、面白いと感じたけど、二次方程式と結びつかなかった。

だから、この方法を知ったとき、なるほどと感心したのだ。
和と差の公式で因数分解できるというアイディアはなかなか思いつかない。
それを図にすると、

     因数分解  ⇒  二次方程式 (特別な場合はできる)

        ↘      ↗

         和と差の公式 (一般の場合もできる)

つまり和と差の公式を使えば、実に簡単に二次方程式が解けるのだ。
第三項を入れるというのは突破するために必要なことなんだろう。
(知恵とは回り道する力)→134、「知恵」とは回り道をするちから 
ただ普通は和と差の公式と因数分解は結び付かない。
そこには隠された知があるけど隠されているからうまく表現できない。

このことを示す図をジオジェブラで作成してみた。

bとcに半角で数値を入力すると自動的に答えが出る。

 

 

これから古文書に取り組むつもり。

 

 

高鷲の伝説と民謡

高鷲に鷲退治伝説の文書がある。

それについてパネルディスカッションをやるのでその打ち合わせをした。

3人でいろいろ話したけどとても楽しかった。

鷲狩り伝説については以前書いたことがある。→(鷲狩り伝説)

あれからだいぶ経った。

そして、昨日の話でいろいろ聞いたことや、新しい資料によって、仮説が変化している。資料をさらに読み込まなくてはと思っている。

さらに、高鷲民謡のCDを貸してもらった。
素晴らしい記録だ。
これを聞いていると、楽しくそして不思議な気がしてくる。

やりたいことがいっぱいある。

でも時間がない。

 
話会った場所は、大和の「呼子鳥」(三島勘左衛門さんの旅日記も「呼子鳥」だった)

茶店になっているけど、すべてコロナ対策がしてあって、しかも周りは島津文庫の本で埋め尽くされている。借りれるのかと聞いたら、貸し出しはできないけど、読むのは自由とのこと。一日島津先生の蔵書(和歌や物語の古典についての)を読みながら過ごすのも悪くはないと思った。

www.kokindenju.com

二次元図式

わかりやすい板書に「マトリックス」による整理の仕方がある。

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要は表なのだが、これは座標を用いた二次元図にできる。
例えば、新自由主義をこう表すことができる。

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とても嫌な図になる。

新自由主義にはこの二次元図がとてもマッチする。

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そもそもこういう図はなぜわかりやすいのだろう。

例えば、散布図で相関関係を調べる場合に使われる。

二項で4つの事象に分けられるところがわかり易いのだ。

例えば以前、日本の若者の与党びいきを説明した図。

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若者の与党びいき  2016.10.1

それに対して、新しい視点を示す次のような図を考えることができる。

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そしてさらに見方をひっくり返す次の図はとても素敵だと思う。

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この図は見方を変えてくれる。

一方、心しなければならないのは、次のように考えてしまう危険性である。

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自戒をこめて「 二分することには危険性がある」。

日常性と非日常性

忙しすぎて日常が無い。
このコロナ禍の中でいつもやっている行事ができない。

とよく言う。では、日常とは何か。

そして、破壊的な現象(行為)創造的な行為とはどう違うのか。

放送大学の講義を見ながらまとめてみた。

www.youtube.com

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「ゆらぎ」→「よろめき」→「離脱」の三段階が面白い。

創造は脱体制・脱システムから生まれるが、破壊は脱ではなく体制やシステムを壊す。

体制やシステムには長年の経験から苦心して造り上げてきたものもある。

 

パートナーが携帯をスマホに変更するという大事件をどう考えたらいいのか?

そして、学校の現場で起こっているコロナ禍の非日常をどうとらえたらいいのか?