足場の設置 雨の中を大変。
鷲狩り伝説ー鷲見大鑑を読み下す
初めて読んだ。
濃北一覧とはかなり違っていることに気がついた。
鷲見氏のことと小左衛門のことが書いてある。
足場の設置 雨の中を大変。
鷲狩り伝説ー鷲見大鑑を読み下す
初めて読んだ。
濃北一覧とはかなり違っていることに気がついた。
鷲見氏のことと小左衛門のことが書いてある。
昨日は孫のもり。
エネルギーいっぱいで、ついていくのがだんだんしんどくなるけど、楽しかった。
このはてなブログに移転してちょうど一年。
その間、アクセスしていただいた人の累計は9100人。
一日25名のアクセスがあったことになる。
この数にこだわってはいけないと思うけどつい気にしてしまう。
ブログを始めてから8年になるけど、昔の記事を見ることができるのがありがたい。
同じことを繰り返していることがよくわかる。
できるだけ記事を関連するようにしている。
その時、記録というのは何だろうかと考えてしまう。
古文書を読んでいると、ますますその疑問が浮かんでくる。
昔の人にとって記録は今のありようを保証してくれる大事な証文だった。
そもそも「今」というのも永遠の「その時」なのだから。
今日から工事に入った。雨の中お疲れさまでした。
台風14号が心配。
「ないおん」の「かるた48」仏さまのおこころ が届いていた。
3組しか買えなかったけど、キッズサンガでやるつもり。
そして、孫がひらがなを覚えたら一緒にやるつもり。
絵札も字札もどちらも素敵。
今日は家の壁を補修するため周りを片付けた。
一日かかってしまった。
腰が痛い。
いろいろ調べたいことがあるので、とりあえず二次方程式を因数分解で解く方法についてまとめておく。
題して「突破するちから」
つまり、突破できない状態を経験しているということだ。
ずっと前、因数分解で二次方程式を解くにはどうしたらいいのかを考えたことがある。
その時、何かありそうだと感じたけど突破するアイディアは出てこなかった。
さらに和と差の公式を面積図で表したとき、面白いと感じたけど、二次方程式と結びつかなかった。
だから、この方法を知ったとき、なるほどと感心したのだ。
和と差の公式で因数分解できるというアイディアはなかなか思いつかない。
それを図にすると、
↘ ↗
和と差の公式 (一般の場合もできる)
つまり和と差の公式を使えば、実に簡単に二次方程式が解けるのだ。
第三項を入れるというのは突破するために必要なことなんだろう。
(知恵とは回り道する力)→134、「知恵」とは回り道をするちから
ただ普通は和と差の公式と因数分解は結び付かない。
そこには隠された知があるけど隠されているからうまく表現できない。
このことを示す図をジオジェブラで作成してみた。
bとcに半角で数値を入力すると自動的に答えが出る。
これから古文書に取り組むつもり。
高鷲に鷲退治伝説の文書がある。
それについてパネルディスカッションをやるのでその打ち合わせをした。
3人でいろいろ話したけどとても楽しかった。
鷲狩り伝説については以前書いたことがある。→(鷲狩り伝説)
あれからだいぶ経った。
そして、昨日の話でいろいろ聞いたことや、新しい資料によって、仮説が変化している。資料をさらに読み込まなくてはと思っている。
さらに、高鷲民謡のCDを貸してもらった。
素晴らしい記録だ。
これを聞いていると、楽しくそして不思議な気がしてくる。
やりたいことがいっぱいある。
でも時間がない。
話会った場所は、大和の「呼子鳥」(三島勘左衛門さんの旅日記も「呼子鳥」だった)
喫茶店になっているけど、すべてコロナ対策がしてあって、しかも周りは島津文庫の本で埋め尽くされている。借りれるのかと聞いたら、貸し出しはできないけど、読むのは自由とのこと。一日島津先生の蔵書(和歌や物語の古典についての)を読みながら過ごすのも悪くはないと思った。
わかりやすい板書に「マトリックス」による整理の仕方がある。
要は表なのだが、これは座標を用いた二次元図にできる。
例えば、新自由主義をこう表すことができる。
とても嫌な図になる。
新自由主義にはこの二次元図がとてもマッチする。
そもそもこういう図はなぜわかりやすいのだろう。
例えば、散布図で相関関係を調べる場合に使われる。
二項で4つの事象に分けられるところがわかり易いのだ。
例えば以前、日本の若者の与党びいきを説明した図。
⇒若者の与党びいき 2016.10.1
それに対して、新しい視点を示す次のような図を考えることができる。
そしてさらに見方をひっくり返す次の図はとても素敵だと思う。
この図は見方を変えてくれる。
一方、心しなければならないのは、次のように考えてしまう危険性である。
自戒をこめて「 二分することには危険性がある」。
昨夜はサークルで学習会。
行くのに一時間かかるけどいろいろ話し合うのが楽しい。
昨夜はコロナ禍の影響で学校が大きく変わったことを実感した。
先生方の心が変わったのだ。
この困難に対して、上からの指示通りにやる。
それは下々のものがどうこうできるような事態ではないから。
でも、その結果起こるトラブルの責任を取らされるのは困る。
当然上に報告しその指示通り動くので責任は上にあると考える。
その結果、子どもたち自身が考え取り組むことは少しも考慮されない。
担任の主体的な取り組みも周りから嫌な顔をされる。
まさにマニュアルなのだ。
コロナ禍の当事者は私たちなのだから、今まで当然だと思っていたことを考え直し、自分たちの問題として考える絶好の機会なのに・・・。
実際そう考えて取り組んでいる学校もあると聞いた。
どうやら二つに分かれているようだ。
この表に書き込まれることが増えた。
「リスクに対して主体的であれ」というのが防疫・防災のレジリエンス(柔軟に対応するちから)である。
この主体的というのは自分の目で確かめ、アンテナを張り、やれることをやる。
でも、個人では限界があるから公助・共助が必要となる。
これが命を守る最も大切なことなのだ。
ところが「リスクコミュニケーションのパラドックス」というのがある。
情報が多いほど主体的ではなくなるというもの。
情報待ち、行政、専門家待ちとなってしまう矛盾。
これこそレジリエンスの反対である脆弱性なのだ。
このことを私たちは3.11で学んだのではないか。
参考のために
アメリカ心理学会は、以下の「レジリエンスを築く10の方法」を提唱している[2]。
これはマニュアルではない。