フェルマー点とシュタイナー点

昨日は永代経。
朝から花を生けたり、準備をしたりで忙しかった。
ただ、コロナ以前は午前と午後もやっていて、お斎まで用意していたので、
それと比べればずっと楽になった。
が、楽な方へは簡単に流れる。

とてもブログを書く暇がなかった。
だけど、ここ一か月ほどGeoGebraのシートは編集していた。
これはフェルマー点が3点を結ぶ最小のコースだということを、見るだけでわかるようにしたもの。

 

そして、3点をさらに4点したらどうかという「例の拡張をする」ためのシート。
これを考えた人の名前をとってシュタイナー点という。
だから3点の場合のシュタイナー点はフェルマー点となる。
ずっと以前に作ったものだけど、再度編集し直してみた。

 

これを見るとシャボン玉ではどう移るのか実験したくなる。

月の出は一日でどれくらい遅くなるか?

菜の花や月は東に日は西に

素敵な蕪村の句だけど、無粋にも「次の日の月の出はどれくらい後なのだろう」と考えてしまう。
計算してみよう。

「月の出は一日でどれくらい遅くなるか?」

まず、ひと月で満月になるわけだから、月の周期は30日。
つまり30日かけて一回転するわけだから、30で割れば一日分が出てくる。
一日は24時間×60分=1440分
これを30で割ると一日分が求まる
1440÷30=48分
つまり、一日で48分遅く出る。

孫:一日=1440分を30日で割ると、どうして月の遅れが求まるの?
爺:いい質問だね。では今度は角度でやってみよう。
 月が一か月で地球の周りを一回転するのはいいかな。
孫:ひと月だからね。
爺:30日で360度だから一日360÷30=12度
孫:一日で12度遅く出るんだね。わかった。
爺:これを分に直してみよう。月の動きは太陽とほぼ同じだから、
 (24時間×60分)÷360度=4分/度
孫:一度で4分だから12度×4分/度=48分ということか
 48分×30日=1440分=24時間つまり一回転する。

八幡公民館のシニアクラブでの法話

八幡公民館のシニアクラブで法話をした。

縁のサロン援助で体操やゲームだけでなく「ためになる話」ということで法話を頼まれることが多くなってきた。
人生の甘いも酸いも経験してきた人たちが、まだ「ためになる話」を聞きたいと思うのか、なぜだろうといろいろ想像してみる。そこで、
「70代の老人はどう生きていくのか」という自分の問題として語ることにしている。

一時間ほどの話だが、たいていは絵や掲示板の言葉を持っていく。
今回は内容については提示資料だけを用意していって、話すことはその場の雰囲気でと考えていた。

用意したが出さない資料もあったけど、何だか自然に離せたような気がする。
「後ろ向きに未来に向かって歩いている」という話は、なかなか納得していただけなかった。⇨【右左前後migihidarizengo.pdf (hamaguri.sakura.ne.jp)

その場が作りだす関係性
私は一方的に考えていることを語るだけではないし、聞く人たちは私の話を一方的に受け入れるだけではない。その場の関係性がそれぞれの認識を生み出して、語り聞いている。そのことを実感できた会だった。

午後からは高鷲文化財保護協会の理事会。
「虎に翼」が面白くてつい見ている。
きっとこうなるんじゃないかと予想していることが、思わぬ展開を見せるから。
饅頭づくりはまさに回り道の効果!急がばまわれ!

モデルとメタファー

私たちがメタファー(比喩)をするのはわかり易いからだ。
何かにたとえることによって、もっと深く表現できるからだ。
和歌などはこのメタファーを多用している。

だから物事を理解する時にもメタファーを使うと理解が進む。
そしてこのメタファーを突きつめたものがモデル。
理論はモデル化できて応用ができる。

著作権の問題があるけど、この図が一つのモデル。
そして、このモデルはAIのしくみを使った脳のモデル化となっている。

この脳のはたらきは、全て数式にできている。
教師なし学習」はヘッブ則によって定式化できる。
ヘッブ則とは「同時に発火したニューロン間のシナプス結合は強められる」という現象
⇨【教師なし学習とは?種類・活用事例・クラスタリング手法を簡単解説
教師あり学習」はデルタ則によって定式化できる。
デルタ則とは「答え(正解)と神経の出力差が大きいほど重みの修正値を大きくする」ことで答えにより近くする⇨【ニューラルネットワーク (hamaguri.sakura.ne.jp)
強化学習」は報酬信号を出すことによって一定の出力をするように仕向けること。
定型的な出力を決めておくことだと思うけど、そうなる仕組みをAIに組み込むことは案外難しいかもしれない。(強化学習の所をクリックすると説明が出てくる)
あえてメタファーを見つけるとマニュアル通りに実行するようなもの。

モデルベースシステムはこれら3つをさらに組み込んだシステムになる。

さて、モデルは図式化するとよくわかるのはなぜだろうか。
メタファーの良さを表すモデルがあるという。

   カテゴリー的距離 ⇨ 面白さ    ⤵
                    比喩の良さ
   情緒・感覚的距離 ⇨ わかりやすさ ⤴

これなんか素敵なモデルだと感じる。
さらにコンピュータをメタファーにして認知・学習をモデル化すると

           [遺伝]
            ↓ 形成        学習・発達
 [環境] ⇆ 認知・学習システム ⇆ [スキル・知識・価値]
        振り返り ⇅ 決定      アクセス
           [行動] 

となってくるが、これは元となる入出力のブラックボックスモデルを前提にしている。
モデルはモデル化(図化やプログラム化)することによってはじめて使えるモデルとなる。(一方的矢印を⇆に変えてみた。もしかしたら遺伝も⇆かもしれない)

「脳の話」

昔、時実利彦氏の「脳の話」という本を読んだ覚えがある。
大脳前頭葉の働きの大事さを強調していたと思うが、「パブロフの犬の話」はこの本で知ったような気がする。
根が単純なので、ここから入力と出力のブラックボックスの概念に行くのは自然だった。ところが、人間はそんな機械的と同じような脳を持っていないということに気がついて、ウィーナーの「人間機械論」を読み直してみると、フィードバックという概念が書いてあった。フィードバックはIT でも行っているので、もっと何かがあるはずだと思っていたら、オートポイエーシスという概念を知った。出力が同時に入力にもなるということ。でも、あまりわからなかった。
そこからプロジェクションやモデル思考も知ったが、先日知った「モデルベースシステム」では、認知(脳)科学とAIとが密接な関係があることがわかった。

AIは脳をモデルとしているが、
逆に「AIを用いて脳のはたらきを探る」ということだ。例えば、

A.小脳は入出力関係の「教師あり学習」 定型行動
B.大脳基底核は報酬を予測する「強化学習」 条件反射
C.大脳皮質は状態表現(感覚表現、運動表現)の学習をする「教師なし学習

これらは様々な数式モデルがつくられており、AIではすでに使われている。
むしろ脳のはたらきをAIのする学習でイメージしている逆転現象だ。

小脳は目標出力を予測する“教師あり学習”に特化した回路で、自分の身体とか外界の内部モデルを獲得するために有効だ。大脳基底核は、黒質からのドーパミン性信号による“報酬予測に基づく強化学習”に特化している。大脳皮質は、特定の出力を指定する学習信号はなくても、入力の統計的な構造を捉える状態表現の“教師なし学習”に使われていると考えられる」

学習においても、かっては条件反射などのA,Bを鍛えたり、せいぜい最近はCを求める表現学習があるくらい。こうやって見るとやってきたことの意味がわかる。
それでモデルベースシステムだが、「脳はこれらを組み合わせるシステムとなっている」という仮説。

たとえば小脳で次の状態を予測する内部モデルが獲得されていれば、候補となる行動を大脳皮質に作業記憶として保持しておき、その結果得られるべき状態を小脳の内部モデルで予測し、その良し悪しを大脳基底核の価値関数で評価して、その評価が良ければ実行に移し、良くなければ別の候補を考える、という形で意思決定や行動選択が取れるだろう

ゲームをやってもらって脳の活動を見ると、それぞれの部位が発火して上の仮説を裏付けているという。さらに、この仮説を用いて新しいAIを構成することも出来る。
条件反射の脳の研究からAIを用いた脳の研究に進化していると思うと、この70年はすごい進歩だと感じる。

ふと感じたのは、このシステムを鍛えるのは「勉強」することではなく「あそび」をすることしかないような気がする。
もっとも学習することがあそびになれば良いのだけど。

”遊び”と”モデルベースシステム”

先日書いた”遊び”についてヒューマニエンスでやっていたことをまとめてみる。
これを見て面白いと感じたのは、私自身が仕事よりも遊びが好きだからだ。
子どものころから遊びが大好きで勉強は嫌いだった。
今は学ぶことは遊びの様になっている。
だから、遊びって何だろう、どういうはたらきがあるんだろうと気になっていた。

まず「遊び」とは何か、遊びでないものを考える。
仕事などで命令されてやるもの。仕方なしでやっていること。
モデルは子どもの遊び、大人の遊びだってある。

①遊びは自由である
②でも、何らかの規則がある
③無報酬で遂行される・・・面白いからやる

では、動物には遊びがあるのかというと、哺乳類にはあるらしい。
ニホンザルに典型的な遊びに「枝引きずり遊び」がある。一種の鬼ごっこ
枝を持っているサルを追いかける。枝をとると追いかけられる方に役割が交代する。
サルは言葉を持たないので枝が鬼の役割をするが、人間の場合は言葉で鬼の役割が決まる。サルは多数で遊ぶが、類人猿の場合は一対一の遊びになってしまう。
人間の場合は多数対多数で、これが仲間意識を生み出す。

では動物の遊びとは
①非自明的な機能
②自発性
③通常の行動の変化または誇張
④繰り返し(何度もやる)
⑤ストレスがない状態でおこる

サルの場合は言葉がないのでモノで役割を交代する。人間の場合は言葉や概念(鬼)で役割を交代するけど、鬼ごっこをしている点では共通。
類人猿の場合は誰かが遊びの中に入るとそれまで遊んでいた子は出ていく。
つまり一対一の遊び。人間の場合は多対多で、このチーム同士の遊びによって仲間をつくり、絆が生まれる。つまりコミュニティの仲間意識(われわれ感)が生じる。

遊びは失敗しても良く、自由な活動。これは「勉強」や「仕事」とどう違うのか。
勉強や仕事には明確な目的があるが、遊びは脱線したり、別の目的に移ってしまうことがある。遊びでは脳の中ではどういうことが起きているのか。
ずばり遊びによって脳の中にモデルベースシステムを創っている。
一方、私の古いイメージでは餌によるパブロフの条件づけがある。
これをモデルフリーシステムと言い、報酬(餌)による単純なシステム(回路)。
モデルベースシステムはもっと複雑なシステムで、簡単に言うと様々なシュミレーションをすることによってモデルを脳の中に自然に構成している。逆にいうと、構成されたモデルによって脳の中でシミュレーションをおこない確かめるというシステム。
もっと単純に言えば、
遊びは脳のシミュレーションであり、脳のシミュレーションは遊びということだ。
だから別の目的に変更することも出来るし、全体を構造化することも出来る。
「遊びによって自由にシュミレーションができるくらいベースモデルが構成される」

では、なぜ我々は遊びをするのか。
遊びの中で何かを得ているからと思われる。
例えば、社会的ステータスは簡単には変更できないが、遊びの中でだったらできる。
遊びには簡単な勝ち負けがあり、人よりも強いとか、えらいという感覚を簡単に得ることができるし、またひっくり返すことができる。

遊びは人生を豊かにするし、心を豊かにする。
遊び経験が豊富な人は違う見方ができ、スランプを脱出できる。
遊び心がある人はストレスを乗り越える力や回復する力(レジリエンス)が高い。

実際に子どもの頃よく遊んでいたとか、今でもよく遊ぶとか、好奇心があったり、あたらしいモノへ好奇心を持っている人は、レジリエンス尺度が高いというデータもある。
遊び心のある人は、たいていの場合何とかしてやって行けるとか、物事に関心を持ち続けるとか、人生で成し遂げてきたことに誇りを感じているとか、自分自身とうまく付き合っているという。
何か面白いことはないか」と考えている人は、レジリエンスが高いだけでなく、新しい文化を生み出すだろう。そもそも、遊びはうまくいかないことがあるということを前提にしているから。
そして、遊びの豊かさは、何よりも自分が変わっていくことを楽しめることだ。

東京で外出もせずにヒューマニエンスのビデオを三回も見てしまった。

脳の回路モジュールはなぜうまくつながることができるのか--沖縄科技大 銅谷賢治教授 第3回全脳アーキテクチャ・シンポジウム(2)|ビジネス+IT (sbbit.jp)

認知心理学におけるモデルベースアプローチ_pdf (jst.go.jp)